大学生がはじめた「教科書で国民の美的感覚を養う」プロジェクト。台湾社会を巻き込んだ10年の奇跡

大学生がはじめた「教科書で国民の美的感覚を養う」プロジェクト!台湾社会を巻き込んだ10年の奇跡

INTRODUCTION

昨年の春から夏にかけて「教科書」をテーマとしたデザイン展「OPEN BOOK 教科図書設計展(教科書デザイン展)」が、台北と台中の2都市で開催された。今までどの国のデザイン業界も注目してこなかった「教科書のデザイン」に焦点を当て、展示するという不思議なコンセプトは、現代の台湾人が考えるデザインの在り方や社会への問題提起、そして台湾が向かおうとしている未来を象徴している。

「OPEN BOOK 教科図書設計展」(台中にて)

ヨーロッパで受けた衝撃

ちょうど今から10年前の2013年、台湾国立交通大学の学生だった陳慕天、張柏韋、林宗諺、GINI(何富箐)たちは、それぞれデンマークやオランダ、イギリス、フランス、スイスなどのヨーロッパ諸国へ交換留学生として遊学に向かった。

ヨーロッパから遠く離れた東アジア。その中でも南に位置する台湾から来た若い彼らは、西洋の文化や生活からは、多くの刺激を受けたことだろう。
留学生活の中でも、特に生活空間や建築のデザインと広告などのグラフィックデザインに深く感銘を受けた。庶民的なスーパーのチラシやDMでさえも美的意識を感じさせることに驚いただけでなく、どの街並みを見渡しても美しく文化的であることに非常に感動している。
今回のインタビューでも「ヨーロッパの生活が、台湾人の美的感覚とはかけ離れた高いレベルにあることにとても感動した」とGINIは語った。

GINI(何富箐)

GINI(何富箐)(美感細胞オフィスにて)

故郷の街の風景を思い浮かべては「なぜこんなにも、ヨーロッパは美しいのか?」と疑問に思い、その答えを探し求めながら留学生活を過ごしていた。そんな中、イタリア人やスウェーデン人の友人と話をした際に「美的感覚を養うための何か特別な教育を受けたのか?」と質問をぶつけてみた。しかし彼らは「特殊な課程や教育は受けてない。ただ小さな頃からこういう環境で生活してるだけだ」と語ったという。この言葉から、実践的な教育ではなく生まれ育った環境が、美的センスに大きく影響を及ぼすのだという仮説を彼らは抱いたのだろう。

何から影響を与えるか?

そんなカルチャーショックを受けた彼らが帰国後、大学の寮で「どうすれば台湾もヨーロッパのような美しい国になれるのだろう?」と話し合った。
留学中に抱いた仮説をもとに具体的な教育を施すのではなく環境から影響を及ぼすことが有効なのではないかと考え、街の美意識改革から始めようと構想を練り始めた 。例えば、街角や公園などに設置されているパブリックアートを作るというアイデアが上がった。確かに税収の豊かな都市部では、公共施設を建設する機会が多いため、パブリックアートを作るチャンスがあるかもしれないが、それでは地方に住む人々に影響を与えることができない。彼らが本当に目指したいのは全ての台湾国民が平等に美的感覚を磨くことができる仕組みだった。

加えて美的センスの水準を上げるためには、既成概念が凝り固まった大人ではなく、頭が柔らかい子供にアプローチする方が効果的だとも考えた。全ての子供たちが平等に美感を引き上げることができる方法はないだろうかと考えを巡らせた結果、教科書のデザインから美的感覚を養う活動を思いつき、「教科書再造計畫(教科書再デザイン計画)」としてプロジェクトをスタートさせることにした。

特に彼らが注目したのは、教科書を毎日目にすることだ。学生は小中高の12年間で合計12,760時間もの間、教科書を見て過ごすという計算をしている。だからこそ教科書は美的感覚を養うための絶好のメディアだと考え「美しい教科書を通して美観の教育をしてはどうか」という提案を台湾社会に投げかけることにした。

「OPEN BOOK 教科図書設計展」(台中にて)

全てがゼロからのスタート

アイデアは固まったものの、デザインを学んだわけでも、行政とのコネクションはおろか、編集の経験もない普通の大学生が、自分達だけでこのプロジェクトを完結するのは不可能だった。実際に誰に相談しても難しいプロジェクトだとネガティブな意見を受けていたのだ。そんな前途多難な中、彼らの通う交通大学で当時教鞭をとっていた張基義(現:台湾デザイン研究院長)にも相談をもちかけた。彼からのアドバイスはそれまでの意見とはうって変わって前向きで、実現できる方法を一緒に考え、アドバイスを受けることができた。この出会いから少しづつ具体的な計画に落とし込み、活動を進められることになる。

このプロジェクトを達成するためにも、欠けてならないのがデザイナーの協力だ。協力してもらえるデザイナーを探すために、デザイン会社や個人で活動するデザイナーに100通にも及ぶメールを送ったが、大学生のプロジェクトにボランティアで協力するデザイナーは、ほとんどいなかった。ほぼ返信が来ない中、手を上げた数少ないデザイナーの中には、IF OFFICE代表の馮宇がいた。彼は商業デザインのみに留まらず、台湾設計研究院と消火器のデザインガイドラインの開発・設計や、台北MRTの駅の再デザインなど、デザインからのアプローチで社会貢献することに非常に熱心なデザイナーで、今も台湾のデザイン業界で一際目立つ存在だ。

しかし、一般的な書籍と違い教科書の制作には、非常に多くの壁が存在している。そもそも教科書は特に間違いが許されないため制作現場では確認作業や校正に時間がかかり、デザインを語る余地などない。

日本では教科書の出版に助成金を受給できるが、台湾ではそういった制度はなく、小説などの価格は170〜350NTDが相場であるのに対して台湾の教科書は1冊150NTD程度と比較的安価だ。そもそも市場が日本よりも小さく政府などからの資金補助がない中で教科書を制作することは困難なことだとGINIは語る。

左:GINIさん、右:陳慕天さん(美感細胞オフィスにて)

社会現象へ

大学を卒業する2014年8月、彼らは教科書のプロトタイプを作るための資金の募集をクラウドファンディングで開始した。これが大成功を収め268名の支援のもと、なんと26万NTDを集め、教科書制作のための資金を獲得した。その資金で国語科の教科書のプロトタイプを制作し、プロジェクトに協力してくれる新竹の大湖小学校の5年生9名に配布した。最初の教科書に国語を選んだのは、教材となる物語の中で、イラストレーターやデザイナーの力が充分に発揮できると考えたからだ。

初めて制作した教科書のプロトタイプを持って話す小学生(YoutubeチャンネルAesthetiCell美感細胞団隊より)

最初の教科書を無事に完成させた後、台北で開催された講演会イベント「TEDxTapiei 2015」に陳慕天たちが招待された。自身の考えをこの機に訴えることでさらに注目される。またSNSでも活動を発信し続ける中で、アーロン・ニエや方中序といった台湾を代表する著名デザイナーが協力してくれるほどの大きな活動となり、多くの人々を巻き込んでのムーブメントになった。

第一回のクラウドファンディングでは26万NTDにとどまったが、2017年に行った第二回の募集には20倍を遥かに超える564万NTD、2020年の第三回には30倍を超える850万NTDと、集まった資金は回を重ねるごとに大きく膨れ上がり、彼らが社会に訴えた「教科書のデザインを通して自国を美しく変えたい」という思いに共感・賛同した台湾国民の多さと、その熱い思いが数字として現れることとなった。

https://www.youtube.com/watch?v=tfpIXAc10TE&ab_channel=TEDxTaipei
陳慕天「給我們一本課本,我們給孩子一座美術館」(TEDxTaipei 2015)

彼らは「環台発書」と称する書籍配布の台湾島一周の旅を今までに3度行っている。これは、新しくデザインした教科書を携えて学校を訪問し、自ら子供たちの手に教科書を届けると共にその教育現場で生の声を聞くといった活動だ。今までに500近い学級を訪れ、28,990冊に及ぶ美しくデザインされた教科書を配っている。
それ以外にも2017年に「社団法人美感細胞協会」を設立し、2018年からさまざまな領域の専門家と協力し美しい教科書と教育に関するデザインの研究を開始。教育に適した書体に関する報告書、紙質に関する報告書、読みやすさに関する報告書などを、教育部(日本の文科省に相当)と協力して研究結果を冊子にまとめている。

2021年には教科書のデザインを募集し表彰するアワードの開催にも尽力した。今までの教科書の概念を変えるアイデアが溢れた教科書デザイン案が受賞しているのが特徴的だ。そしてそれを1つのコンテンツにし、昨年「OPEN BOOK 教科図書設計展(教科書デザイン展)」が開催された。

こういった美感細胞の一連の活動は、国内のデザイン賞や教育方面からの表彰だけに留まらず、ドイツのRed Dotデザインアワードからも評価された。

これまでに制作した教科書や、研究結果をまとめた冊子

若者の情熱が国を変えた奇跡

今回のインタビュー取材の中で、GINIは当時のことをこう振り返る。「プロジェクトを始めた頃は、不可能だとか、行政が絡むことだからそう簡単なことではないといったネガティブな批判ばかり受けた。でも当時、唯一実現のためのポジティブなアドバイスをくれたのが張院長だけだった。張基義院長が応援してくれたからこそ、このプロジェクトを達成することができた」。

またそのコメントに対して、張基義院長からは「不可能なことを大学生が1歩1歩進み、10年もの時間をかけて成果を上げたことに感動しました。台湾人のデザイナーの協力を得た上で、彼らが政府機関を説得し、台湾行政院文化部が採用したのです。」とこのプロジェクトに対する思いを述べた。

張基義院長(オンラインインタビューにて)

普通の大学生が欧州への留学をきっかけに、抱いた台湾人の美的感覚への疑問。それに対して彼らが掲げた「教科書を再デザインし美的センスを養うことで、国が美しくなる」という仮説を自らプロジェクトにし、台湾社会に大きな変革をもたらした。

張基義院長は今回のインタビューの中で「日本はデザイン先進国」と表現したが、台湾ではデザイナーはもちろん美感細胞のようなアウトサイダーが、自国のデザインを前進させようと爆発的な勢いで様々な取り組みをしている。そんな台湾を愛する国民や、デザイナーがエンジンとなり、台湾のデザインは過去20年でダイナミックに変化を遂げた。そしてこれからもそのムーブメントは続くように感じる。